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私の出産体験記

 

それまでの妊娠生活
待望の妊娠が発覚したのが2002年の9月だったと思います。生理予定日前なのに本当に体がだるくて熱っぽかったので、検査をする前から「もしや・・・」とは思ってました。生理は結構不順だったので違う事もあるから期待はしてたけど検査をするのは予定日をすぎるまで待ちました。結果は陽性!。

その頃は空港にある洋服の店の店長をしていたので、毎日立ちっぱなし。こんなので大丈夫かと思ったけど、医者は大丈夫と言っていたのでそのまま3月の初めまで働きました。毎日片道45分車を運転して、8時間休憩無しの立ちっぱなし。大きいダンボールが何個もストックとしてやってきて、店の真ん中において行かれたりするので、やむを得ずそれを運んだり(なるべく蹴ったり押したりして持ち上げないようにしたけど・・・)いろいろ大変な事もやりました。(妊婦やから・・・と甘えたくなかった。)

極めつけは初期の頃、車がパンクしてしまい、雨の中自分でタイヤを替えた事(笑)。重いものを持ったらアカンのに、トランクからタイヤを出し入れするのが大変やったし、ジャッキを上げるのが硬くてめっちゃ時間がかかった。

12週目の初めての超音波で動いている元気なデゴ男を見たときはホンマに嬉しくて号泣し、19週の二度目で最後の超音波のときは医者の紹介を無視して、ビデオを撮ってくれるところを自分で探して行ってきた。もっと大きくなってるデゴ男を見て感動。(でもそのビデオ、結局ほとんど見てません、苦笑)

15週のときに茶色のおりものが出て、医者と救急病院に行った。その時の超音波でもデゴ男は元気やったし、出血も止まったので大事にはいたらなかった。

つわりはとても軽いほうだった。吐く事はなかったけど、いつもずーっと吐き気がしていた。食べられるものがコロコロ変わって、フライドポテトしか食べられない日があれば、インスタントヌードルに変わったり・・・。ケチャップを死ぬほど食べた日もあった。

仕事を辞めて家にいるようになってから、友達の所に遊びに行ったり、家事を全部一人でこなしたりした。でも運動はちっともしなかった(笑)。安産のためには運動をしたほうがいいというのはわかってたけど・・・。

定期検診はいつも優秀で、特に血圧は誉められた。一度だけ尿に少し糖が出ているといわれ、蛋白が出てるといわれたことがあったけど、血液検査の結果は問題なしやった。こっちでは体重管理の事は何も言われないので、油断して初期にはほとんど増えなかったけど、仕事を辞めてから急に増やしてしまい、結局15キロほど増えたと思う。

出産はとても怖かったけど、いざとなったらエピデュールと言う麻酔で無痛分娩にすればいいやーと思ってたので、呼吸法の出産クラスとかには行かなかった。でも普通の出産クラス、赤ちゃんのお世話のし方を勉強する両親クラスなんかには参加した。

出産の1週間前は旦那の誕生日プレゼントを買うのに、大きなショッピングセンターの端から端を、デカイ腹抱えてウロウロ歩き回ったりした。

妊娠線は出産の3週間くらい前からできてきたと思う。お腹の下のほうにできて、上から見てたら気がつかなかってんけど、鏡でお腹をちょっと持ち上げてみてビックリ!。紫の亀裂が入ってた・・・。それから毎日一本づつくらい増えていっているような気がして、産んでしまうまで止まらない感じですごいあせった。妊娠線予防のココアバターが入ったクリームを毎日じゃないけど、気がついたときに塗っててんけど・・・。もう妊娠線が増えるのもいややったし、どの体勢でももうお腹が重くってしんどいし、毎日イライラしててほんまに早く出てきて欲しくて仕方がなかった。その頃にはデゴ男に会いたいからじゃなくて、とにかく自分が楽になりたいという理由で・・・。旦那がとても楽しみにしていて、「早く出てこい〜。予定日まで待てない!」とうるさかったし、私も「小さく産んで大きく育てる」方針がいいなと思っていたので、希望では37か38週で産めればな、と思っていた。

さて、実際はどうなったか・・・。

 

2003年5月21日 出産一日前
この日は料理がとっても上手な友達の所にお昼をご馳走になりに出かけた。手作りピザをご馳走になりゴキゲンな私(笑)。ごっついおいしかった〜。自分が挑戦したときは散々な結果になったのに、彼女のはホンマにおいしくて、やっぱり料理好きは違うなと感心した。一人でバクバクものすごい量を食べた。私に「恥」というものがなかったら(え?あるの?とか突っ込まない・・・)、もっと食べていたであろう(笑)。1週間前くらいまではちょっと食べただけで子宮に押しつぶされて小さくなった胃がいっぱいになって胸焼けがしててんけど、その日の食欲はすごかった。赤ちゃんが下がってきて骨盤に入るとスッとして食欲が増えるというけど、私はその瞬間がわからなくて、だんだん食欲が増えてきた感じ。

その日の夜は最後の両親クラスがあった。赤ちゃんのお世話のし方とかを習うクラスで、その日の夜はオージー風布オムツのたたみ方とかをお勉強。普通は妊娠中期くらいに行くクラスやけど、私はこのクラスの存在を知らされてなくて気がついた時には後期真っ只中。「もしかしたらクラスを終了するまでに産まれるかも・・・」なんて心配しててんけど、無事終了。修了書もいただいた。

その日は旦那が仕事の関係で職場の車に乗って帰ってきていて、次の日に返さなければならなかった。「明日産まれたらどうする〜」なんて冗談をいい、自分の体が重くてしんどくてもういやになっていたので半泣きになりながら旦那にやつあたりして寝た。

 

2003年5月22日 デゴ男の誕生日!
■■■ 破水!! ■■■

11時に眠りについて、12時半にトイレに起きた。1時間半でいっぱいになる私の膀胱・・・。もう夜中のトイレ旅行にもいいかげん嫌気が差していて、そんなにこまめに起きる自分にイライラ。

次にトイレに起きたのが2時。また1時間半ごとのトイレ旅行・・・。ウギー!!。ベッドから3歩くらいにある寝室隣接のトイレに行く。いつも電気をつけると目がさめてしまうから電気は付けないことにしている。暗がりの中でズボンとパンツを下ろそうとすると、子宮の下のほうでブルンという感覚があって、暖かい水がジャーっと出てきた。

「ちょっとちょとぉ!。おもらししてしもた・・・。」

さっさと便器に座っておしっこをする。あんなにおもらしして出たはずなのに、普通にいっぱい出てくる。うーん、おかしい・・・。中腰になってみるとまだ出てくるおしっこ。ちょっと待てよ、これはおしっこじゃないで。電気をつけて拭いてみるとピンク色。血尿!?、いやこれは羊水では!?。立つとまだまだ出てくる。わわわ!!破水しちゃったよ!!。

夜用のナプキンを当ててドアを開ける。バスルームの明るい電気で旦那が起きるかと思ったけどすやすや寝ている。うーん起こすか?。でももし破水じゃなかったら次の日仕事やのに起こしたらかわいそうやしな・・・。としばらくベッドの横で悩む私。もう一回ナプキンをチェックしに行くとやっぱりピンクの水が出つづけている。やっぱり起こすか。

「旦那、起きて。なんか破水したみたい・・・」

その時の旦那の顔を今でも忘れられない。目をクワッ!!と飛び出すくらい開けて「何!?」と飛びあがる旦那。もう破水した本人より100倍慌てている(笑)。「いつ?」とか「ホンマに破水?」とか質問を浴びせながらオロオロベッドの周りを歩き回る旦那。その間私は着替えながら入院用のバッグに何を加えるか考える。ラッキーにもリストを作っておいたのでそんなに問題じゃなかったけど、自分で荷造りをする羽目に。オロオロするだけで半分寝ぼけている役に立たない旦那(笑)。

日本の実家に電話をした。病院に行く前にはどんな時間であろうが電話をして知らせるということになっていた。日本時間夜中の3時。みんな寝静まってるはず。でも結構すぐに弟が出た。さっさと「姉ちゃんや!。今破水したから病院行ってくるし!!」というと「おう!がんばれよ!!」と励まされた。

病院に電話をする。出産病棟の電話番号を知らなくて、いろいろな人にたらい回しにされてやっとつながり、すぐに来るように言われる。問題は車。どうするよ、会社の車!?。会社の車を出さないとうちの車を出せないし、会社の車で行くとなると、私の垂れ流し羊水で汚れてしまうかも・・・。それに私用で使ったらあかんやろ。なんてことだ・・・。今日返さないと今日使うはずの人が困ってしまう。出産の心配より車の心配をする私達。

うちから病院までは車で5分。信号もないし夜中なので車もそんなに走ってないやろう。まだ陣痛も始まってないし、会社の車は旦那、自分達の車はバスタオルを敷いて私が運転する事に。もし出産が長引いて午後まで産まれない、とかいう事になったら旦那が車を会社に返しに行って電車で戻ってこればいいし。

■■■ さて産むぞ ■■■

夜中なので病院のメインの入り口は閉まっていて、救急センターでいきさつを話すと中に入れてくれた。暗い病院の中を出産病棟まで案内してもらう。前にここに来た時は出産クラスのツアーやった。実際産む部屋なんかを見学して、自分の産んでる姿を想像して恐怖で半泣きになった私。とうとうその時が来てしまった・・・。怖い・・・。破水してるからもう後戻りはできひん。あんなに会いたくて待ちきれなかったデゴ男に会える時がきてんけど、もう怖くて怖くて・・・。

まずは検査室みたいな小さな部屋でホンマに出産準備ができてる体なんかチェックをされた。破水やと思ったけど本当はおもらし、何てことやったら家に帰されるから。そのチェックは無事通過。尿検査の結果どうやら私はお腹が減っているらしい、といわれた。そんな事がわかるのか、尿から。サンドイッチを持って来てもらいガツつく。一人で食べるのも悪いから旦那にも食べる?って聞いてんけど、要らんって言われてホッとする(笑)。結構落ち着いている私。陣痛モニターみたいなんでどうやら私の陣痛が始まったらしいといわれた。そうか?痛くないで??。子宮口も4センチ開いている。

尿を取っている間に旦那が助産婦さんに何時ごろに産まれるか聞いたところ、このまま順調に行ったら9時ごろね、といわれる。ええ!!その時はもう3時ごろで、それって結構すぐやん!。初産って10時間以上かかるんじゃなかった!?。うわー、めっちゃ現実的やー。

バースプランを聞かれた。痛みにどう対処するのか。私はまずガス(笑気ガスやと思う。痛みが最高潮に達したときに少し楽になるくらいしか効かない。)を試して、それでも痛くてたまらんかったらエピデュール(背骨に刺す麻酔で、無痛分娩)でと頼んだ。エピデュールに達する前にペセディンという痛み止めをする事もあるねんけど、それって打ってからすぐに赤ちゃんが産まれると、赤ちゃんまで薬が効いていて、薬から覚める注射を赤ちゃんに打たないといけないらしくて、タイミングが難しいと聞いていたから、それはやりたくないと。それを聞いて助産婦さんが「どうせエピデュールする気があるんだったら最初からやっておけば?。なんで必要ない痛みを味あわなければいけないの!?」というコメント。うーん、それもそうやんな。じゃ、そうしてください。あっという間に心変わり。「お腹を痛めて産んだのに・・・」と将来デゴ男に言えなくなるなー(笑)。

これからどうなるのか助産婦さんに聞いたところ、産む大きな部屋に移って産むらしい。いつも気になっていたことも聞く。「あのぉ、もしいきんだ拍子に大きいのが出てきたらどうするんでしょう?」。「あら、気になるなら下剤を浣腸する?」「えええ!!いや〜ん。じゃあその助けを借りる前に自分でがんばってみます。」という事で産む部屋(4号室)に羊水垂れ流しながら移動(笑)。その時は妊婦私だけですべて一人占め。ラッキー。

産む部屋は大きくて、バスルームにはシャワーからお風呂までそろっていて、ホテルのように小さな石鹸とかきれいにたたまれたタオルなんかが置いてあった。そこでちょっとがんばってみたら出てきました、大きいのが(笑)。これで浣腸のお世話にならなくて済む・・・。これこそ火事場のクソ力か!?。

■■■ 無痛分娩に挑戦!? ■■■

エピデュール中は起き上がれないので尿道に管を刺された。そんなん初体験で、そんなん痛いんちゃうん!?と思ってたけど一瞬「はぅ!」ってなっただけで済んだ。ベッドに横になってしばらく旦那とお話タイム。会社の車どうする、なんて話し合う。もし9時に産まれるとすると、8時半に仕事が始まるように車を返しに行くとデゴ男の誕生を見逃す事になってしまう。なんてタイミングが悪い・・・。6時とかめっちゃ早くに返しに行けば?。でも駐車場が開いていない・・・。困ったな・・・。なんて話してるうちに麻酔のお医者さん登場。なぜかうすっぺらい安っちい白いつなぎの服を着ている。白衣はどうした!?。青緑の手術用の服は!?。これやったら見習のメカニックのよう・・・。大丈夫かよぉー、こいつ・・・。(きっと使い捨ての服なんやろう。でもなんでつなぎ!?)

エピデュールによるリスクなんかを話してもらいOKしてから打つことに。ベッドに座って背中を丸くしてじっとしていないといけない。針やら管が背骨の骨と骨の間に刺さるので、少しでも動いたら危険な事に。私は背が低くて足がブラブラしてしまうので、ベッドのすぐ横に旦那が座って私の両足を支えてくれる事に。

痛い痛い!おっさん痛いがな!(笑)。最初局部麻酔をしてもらうねんけど、それでも痛いっちゅーねん。なんか私は背骨の上に4センチも肉がついていて入れるのが難しいらしい。え?そんなに肉ついてへんで?。私はブヨブヨおばけか!?。針が入ったと思っても背骨の中でクニクニ回したりするから体のいろんなところがピリピリ痛んだりして不安に。結構時間がかかって、足を支えている旦那の腕に血が回らなくて震えてきてすごいつらそう。それがかわいそうで気になる私。多分30分くらいかけてやっと管を通して成功した感じ。こんなに大変なエピデュールを陣痛の最中に打つのは絶対危ないと思った。痛くてちょっとでも動いたら大変な事になる。最初からやっておいて良かった。

背骨に通した管から麻酔を入れられる。しばらくして下半身が軽くなって足なんかの感覚がなくなる。エピデュールをする人は必ず陣痛モニターをずっとしていなければいけなくて、それを見てるといつ陣痛が来たのかわかる。陣痛が来ても子宮が吸収する感じはあるけれど痛みはない。ハレルヤ〜、エピデュール!。助産婦さんが最初に入れる麻酔の薬は足とかの感覚がなくなるやつやけど、それが切れて次から入れる薬は子宮の痛みだけ取るから、いきむのとかの感覚もわかるのよ、という。その時の痛みというと、左手首に刺された、いつでも点滴とか輸血を入れられるように刺しっぱなしにされた針と管。ちょっとでも手を動かすと痛い。今でもその跡が茶色く残っている・・・。

子宮口のチェックをしたとき助産婦さんは「どうも私が見る限り、赤ちゃんが反対向いてるわよ。」という。え?逆子!?。じゃなくて、出産の開始時、赤ちゃんの背中はお母さんのお腹のほうを向いてないといけないねんけど、デゴ男は背中のほうを向いていたらしい。出産クラスの先生が「私の二人目のときがそうで、そりゃ痛いのなんのって!。エピデュール無しではあれは無理ね」といっていたのを思い出す。げげげ!。その助産婦さんも「エピデュールしてて良かったわねー。これは痛くてお産も長引くわよ」といっていた。

しばらく痛みがなくて「おお!陣痛来た来たー!!、今回のは強いぞー!!」なんて余裕な私。旦那と会社の車をどうするかという話しをしたりする。その頃はもう5時とかで、2時から起きている旦那(私もやけど)は眠そう。それに待ってるだけで暇やし。「あんた、近くにテレビとかある待合室あったやろ、そこでテレビでも見てコーヒーのんどき。なんかあったら助産婦さんに呼んでもらうから。」と旦那を追っ払う。

助産婦さんがラジカセを持ってきてくれた。イージーリスニングな曲が流れるラジオ番組に合わせてくれた。旦那が出て行く前にそれを私の大好きなロックを流すTriple J に変えてもらう。自分のベッドからは頭上にある時計が見えへんから時間がわからへん。きっともう7時くらいやったと思う。夜中シフトの助産婦さんが「私帰るからがんばってね」と出て行き、二人の若いのとベテランそうなおばさん二人がやってきた。ベテランさんは陣痛モニターを見て「あら、こんな陣痛じゃいつまでたっても産まれないわ。陣痛促進剤使うわよ。」という。私も実は心配しててん。うちのお母さんもおばあちゃんも微弱陣痛で何日も陣痛に苦しんだので、私も遺伝でそうなるのではないかと・・・。モニターを見ても大きな波が来た後、小さいのがちょろちょろっと来てまた大きいの、という感じでちっとも定期的に来ていない。

■■■ もうすぐデゴ男と会える! ■■■

陣痛促進剤を打ってもらうときに、麻酔が切れてきて痛くなってきたのでもっと薬を入れてもらうことにした。その頃には旦那が「やっぱり寝られへんかったー・・・」と待合室から帰ってきて、何事かとビックリしていた。陣痛促進剤を打つとすぐにバンバンでかい陣痛が来るのがわかる。ひいぃぃ!!早く麻酔を打ってくれー!!。打ってもらってもいっこうに効く様子は無し。痛い、痛い・・・。今から考えると、1回目の薬とは違うからかも。きっと私には二度目の薬は効かないやつだったのだろう・・・。もう痛くて弱音を吐いてるから助産婦さんがこれでも吸ってなさい!と笑気ガスを渡す。それの吸い方は知ってたからがんばって吸うねんけど、やっぱり痛い。麻酔はどうした!?。あまり痛そうにしてるのでもっと麻酔を入れてもらう。それでも痛い!。ガスを吸いつづける私。

いつのまにか違う部屋からもすごい叫び声が。助産婦さんが「彼女は3人目でさっき来たばっかりなのにもう産みそうよ。あなたもがんばりなさい!」といわれた。

あまりの痛さに「うわぁぁぁ!!!」と自然に声が出てくる。オロオロした旦那が「デゴッチ大丈夫だ!」って手を握りに来たけど「スマン!」と振り払う。「あああぁぁ!!スースー(←ガスを吸う)あああぁぁぁ!!!」の繰り返し。それをどれだけ続けたんやろうか。あまりの痛さに永遠にも感じたし、必死やったから結構短くも感じた。それでも陣痛の合間に「旦那車返しにいかな・・・」とか心配する私。「そんなんいいから!!」と怒る旦那。覚えてないだけかもしれないけどあまり子宮口の開き具合とかチェックしてなかったように思う。しばらくして痛いだけじゃなくて、ウッウッウッって痛いのとは違う感覚がやってきた。これですな、からだが自然にいきみたがってるというのは。

「プッシュしたいです!!」というと、「さっき血が出てきていて、子宮口が最大に開いた証拠だと思うからいきんでいいわよ!」といわれる。ただのベッドで足を置く台とかないので、両端に立っている助産婦さんの腰に足を置くようにいわれた。そんなことしたらあんながりがりの助産婦さんが飛んでいってしまう・・・。でもいきみは止まらない〜。必死にいきむ。「そうよそう!!上手よ!」と励ませられる。いきむとき、私は太ももを抱え込むようにして、出てくるところを覗き込むように上半身を起こすようにいわれたので、旦那もベッドの隣で私の枕を持ち上げてお手伝い。(でもそんな事しなくてもよかってんけど・・・)

「アー、頭が見えてきたわよ!あなた触ってみる?」いやいや結構です(苦笑)。それより早く出してしまいたい!!。だんだんいきむにつれて股の間になんかが挟まっている感覚が大きくなってきた。うわ!もうちょっとや!!。頭が出てきそうになると、あそこの出口が燃えるように熱くなった。この病院では切らないのでそのままいきむ。もう裂けようがどうなろうが、早く出すの優先!。

「あ!頭が出た!!」興奮状態の旦那。そういう所怖くて見られないかと思ったけどしっかり一部始終を見ている。「あなた、さわってみる?」陣痛の合間で余裕があったけど、なんか怖かった。ドロドロギトギトのデゴ男・・・。やっぱりけっこうです・・・。次の陣痛で体を出す。頭を出すのが一番大変やと思ってたけど、体を出すのも痛かった。

■■■ デゴ男誕生!! ■■■

午前8時46分、デゴ男誕生!。多分10回くらいいきんだだけで出てきたと思う。いきみ方がうまかったわといわれた。もちろん練習なんかした事はなかったけど・・・。練習中に出てきたらいややったから。それにしても破水から出産まで7時間弱。陣痛促進剤を使ってしまったけど、結構初産にしてはスピード出産やったと思う。産まれてホヤホヤのデゴ男は私のお腹の上でもぞもぞしていた。重い・・・。こんなんがお腹の中に入ってたなんて、そりゃしんどいわ(笑)。出産クラスで見せられた出産シーンのビデオで、産まれてきた赤ちゃんを見て言ったお母さんの初めの一言が「紫!彼って紫よ!」やってアホやーって笑ってんけど、実は自分も同じやった(笑)。デゴ男ま紫で、死んでるんかと思った。でも暖かいし泣いてたし、元気やってんけど。初乳をその時に飲ませたかどうかは覚えていない。旦那は一応トライしてたといってたけど・・・。

すっかり出勤時間を過ぎてしまった旦那。助産婦さんが電話を持ってきてくれたので電話で事情を話す。結局上司はすごく驚いて、歓迎してくれて、車は次の日でいいといってくれたなーんや、心配して損したわ。

問題は産んでからだった。あそこがやっぱり少し裂けてしまったよう。助産婦さんは縫う資格がないらしいので、若い女の先生が来て縫おうと傷口を触ったとたんに大出血。なんかだいぶん慌てている。止血のためにあそこをぎゅっと押さえられ、すごい痛い。縫う前に局部麻酔を打ってもらってんけど、効いてない。私は麻酔が効かない体質なのか!?。今まで麻酔なんて歯医者でしか打ってもらった事がなかったので知らんかった・・・。押さえられたまま医者が助産婦さんにもっとベテランの医者を呼んでくるように言うのが聞こえた。

ベテランの医者は一度検診してくれた事がある面白い女の人で、イタイイタイともがく私にまたガスを吸うように言った。ものすごい出血のようで、ベッドの隣の台に何枚もの大きなガーゼが血で真っ赤に染まっておいてあるのが見えた。縫う痛みは出産の痛みに比べたら軽いもので、ガスをいっぱい吸うと酔っ払ったみたいにご機嫌に(笑)。楽しくて冗談を飛ばしまくる私。ホンマにこのガスを家に持って帰れたらと真剣に考えたくらい気に入った。

どうやら裂けたのはちょっとだけやったけど、いっぱい血管が集中してる部分が裂けたのが問題やったらしい。何層かに分けて縫わなければいけなくて、だいぶん時間がかかっていた。途中でタンポンをもて来るように言う声が聞こえ、どうやら何個もタンポンをあそこに押しこまれていたようだ。普通やったらそんなんされたら痛いやろうけど、赤ちゃんが出たすぐあとであそこも伸びきってるからあまり感じなかった。

麻酔はもう完璧に切れていたみたいで、一針縫うごとにツツツーッと皮膚の中を糸が通って行くのが感じられる。痛い!。「アウアウアウ!!(←英語で痛いと言う意味のアウチの不完全版)」と言っていたら「もっとガスを吸っていなさい!」と命令された。でまたガーガー吸っていると気持ちよーくなって「ゲヘヘー」と大笑いするねんなー。縫い終わったときはもうガスが吸えないからちょっと残念やった(笑)。その間デゴ男っちは布に包まれて旦那に抱かれ、熱く見つめられていた。

縫い終わって部屋に併設されているバスルームでシャワーを浴びるように言われた。助産婦さんに連れられて歩いてシャワーまで歩いて行ってんけど、もうめっちゃ疲れているのでふらふら。シャワーには座れるように椅子があってんけどあそこ縫ったばかりでそんなん座れるかい!痛いって。だから立って浴びててん。大丈夫ーなんて外から声をかけられるんやけど私はもうもうろうとしていて倒れそう。もうそこからの記憶はあまりはっきりしてへんねんけど旦那と助産婦さんが入ってきて椅子に座らせられた。もうそれからスーっと意識がなくなって行って「さよーならー・・・」状態。生まれて初めて気を失った。ものすごい出血で血圧が低かったんやと思う。でもまわりの人は気を失ってるのは知らなかったみたい。と言う事はすごい短時間やったんやと思う。ちぇ!もうちょっと長く失ってて薄幸の美少女のようにみんなに心配してもらって看病してもらいたかったぜ。それから病室へ車椅子で運んでもらった。これも初体験。普段は歩くみたいやけど、気を失ったから得した(笑)。

■■■ 初めての入院 ■■■

病室は二人部屋で、部屋の奥には大きな窓、窓の手前には台があってオムツを替える時のマットがあった。窓の横にはオンスイートというシャワーとトイレなどが一緒になった部屋があった。ラッキーにも第一日目は私は部屋を一人占めで、奥のベッドに案内された。手前の部分やとプライバシー確保のためにカーテンを閉めてしまったら暗くて狭い気分になるから良かった。それにトイレに行くときとか気を使わなくていいからね。

この病院は母子同室で私のベッドの横にはおくるみに包まれて寝てる(?)紫のデゴ男がプラスチックのベビーベッド(というかバシネット、籠みたいな小さいやつ)がいた。バシネットには名札がついていて名前とか体重などその赤ちゃんの事が書いてある。だが、まだデゴ男の名前が決まってなくて苗字のみになっている・・・。

名前の候補は二つあった。顔を見てから決めようと思っていたけど難しい・・・。だってさ、デゴ男の顔って紫でむくれていてなんかなー。でもその時はもう可愛くって可愛くって、候補でもかわいい響きのある名前にしようかなと傾いていた。二つの名前を交互に呼びかけてみて反応があったほうとかいうこともした。そんなんで悩みまくっているうちにだんだん時間が経っていった。

お昼の時間になって、夜中からなにも食べていない私達はものすごくお腹が減っていて、ラッキーにも旦那まで病院のランチをいただく事ができた。二人でデゴ男も無視してガツつく(笑)。なかなかおいしい。メインの暖かいおかずはなるべく冷めないように特殊なプラスチックのカバーに入っていた。ディナーと共に次の日の3食のメニューが来て、自分の欲しいものを選べるようになっていた。私は公立の病院だったんやけど、私立の病院ではワインなんかも出てきたそうな。いいなー(笑)。

ベッドひとつごとに電話、天井からはテレビがぶら下がっていた。旦那が手続きをしてくれてどちらも使えるようにしてくれた。午後、うちのお母さんが仕事から帰ってきそうな時間に電話をした。ものすごく喜んでくれた。破水したときに電話をしてから心配で寝られなかったんだそうだ。

午後には看護婦さんがデゴ男をお風呂に入れてくれた。私達も一緒に行って入れ方を教えてもらった。私はまだ尿に管が通っていたので、おしっこバッグ持参で移動。でもまだフラフラで、短時間のお風呂でも立ってられない・・・。だから椅子に座らせてもらった。(でもあそこが痛いの〜。涙)

病院で妊娠中にもらった入院に必要なものリストの中に「退院するときに赤ちゃんに着せる服一枚」とだけあったから、入院中は病院の服を貸してもらえるんやと思ってた。でも十分の数がないらしくて、私が唯一持ってきた退院用の服を着せた。それはうちの妹が去年の11月に来た時にちょっと早い出産祝いとして買ってくれたかわいいクマの柄の洋服。サイズは000といって新生児から3ヶ月までので、ブカブカでかわいい〜。(4ヶ月目のただ今はもう小さくて着れなくなってとても残念・・・。)

オムツも入院中は自分が洗濯しなくていいので病院の布オムツを使うことにした。オーストラリアのオムツは正方形の綿の布。日本のさらしとかよりももっと分厚くて、タオル地のもあるみたい。それをいろいろなやり方があるねんけどたたんで、安全ピンで止めるというやり方。ちょうど前日の両親クラスで畳み方を教えてもらったのでさっそく役に立った。新生児はおしっこの量が少ないので、防水カバーみたいなのがなくて、この布だけで十分やった。

私の体調はだんだんよくなってきていたけれど、まだベッドに起きあがるのもしんどかった。まだ尿に管が通っていたからトイレに行かなくて済んだのは助かった。縫われたあそこはまだジンジン痛くて、凍らせた生理用ナプキンをあてるとだいぶんましになったので看護婦さんに持ってきてもらって何度も交換した。その時に産褥ショーツ大活躍。股の所にスナップが付いていて脱がなくてもナプキンの交換が簡単にできた。看護婦さんもすごいビックリして「日本のなのよ♪」と自慢しまくった私(笑)。(でもトイレに立って自分で替えられるようになったらそのスナップは使わなくなったので、別に普通のパンツでも良かったけど・・・。)

デゴ男は出産で疲れたからかずーっと寝てばっかり。6時間くらいぶっ続けで寝るから死んでるんちゃうかと心配になってつついたり(苦笑)。あまりにも寝ているから助産婦さんが4時間ごとに起こしてでもお乳を飲ませるように指導された。部屋はものすごく暑くて、クーラーもちっとも効かない。デゴ男は飲んでいる最中に寝てしまう。助産婦さんがきっと暑いからよと言って服を脱がせて授乳。本当に暑くて、せっかく持ってきたフランネルのパジャマなんか着ていられなくて、Tシャツを着てても汗が吹き出てくる。

夜はきっと出産の疲れやらなんやらでぐっすり眠れるやろうと思ったら大間違い。ギンギンに目がさえてちっとも眠れなかった。出産クラスで習ったけど、出産後3日目くらいになる、気分が落ちこんでしまう「ベイビー・ブルー」と、あまりたくさんの人がならないけどラッキーな人がなる「ベイビー・ピンク」というのがあるらしい。ベイビー・ピンクは出産中に出たアドレナリンとかが残っているのが原因とかで、とても幸せな気分が一日くらい続いて、興奮してなかなか眠れないそうな。「別になにも悪い事じゃないから、これになった人はラッキーだと思って楽しみなさい」といっていた。私、ベイビー・ピンクみたい。でも寝たいんですけど(笑)。

 

5月23日 二日目
結局ちっとも眠れなかった。朝7時ごろに朝食がきた。シリアル、ダンボールの破片のような冷めたカサカサのトースト、ジュースに缶のフルーツなど・・・。

今日も個室かなー、嬉しいわ〜なんて思ってたら甘かった。隣に私よりも若そうな女の子がやってきた。二人の間にはカーテンが閉まっているから会話をする事はないんやけど、声は筒抜けなので、看護婦さんとの会話から二人目の出産だった事がわかった。

私はというとやっと尿道の管を抜いてもらって、自力でトイレに行く事になった。起きあがるのが大変で、管があっても良かったかな、なんて思ったりする(笑)。でも動くのはけっこう嬉しくて、シャワーを浴びてみたり、コーヒーを入れに行ったり少しずつ動いた。

デゴ男は別に変わりもなく、紫が消えてきていた。産まれたときに左の睾丸が降りてきていなくて、旦那はがっかりしていたんやけど、この日の小児科の先生の検査でさっそく降りてきていると言われて旦那の喜ぶ顔が目に浮かんだ。ちなみに旦那は病院にいてもしかたがないし、車を返さないといけないのでこの日はちゃんと仕事に行った。

デゴ男は本当によく眠っていた。あまりにも眠るので看護婦さんに授乳の時間になったら起こすように言われた。授乳やオムツを替える度に表に細かくどっちの胸からあげたかとか、ウンチの色は何色やったかとか書かなければいけなくて、それを元に次の授乳の時間を判断していた。(ちなみに退院してからもしばらく自分でそれを続けていた。とても参考になったけど、2週間くらい経つともうやらなくなった。)

夕方仕事からの帰りに旦那が寄ってくれた。家から私とデゴ男の着替えを持ってきてもらったり、洗濯物を渡したりしたり、デゴ男をお風呂に入れてもらったりもした。病院ではデゴ男はミイラのように布で全身ぐるぐる巻きにされていて、「ぼくがデゴ男へのはじめてのプレゼント」と言ってかわいい柄の布(バニーラグと言う)を買ってきてくれた。

旦那は病院にいる間デゴ男を抱いていとおしそうにじーっと見つめていた。私はその隣でテレビ見ながら夕飯食べたり・・・。8時には帰らなければ行けないねんけど、誰も何もいってこないのでけっこう長く(9時くらいまで?)残っていた旦那。

旦那が帰り、夜もう疲れ果てていた私は寝たかった。でもデゴ男がものすごい勢いで泣きつづける。おっぱいをあげようとしてるねんけど泣き止まない。隣の女の子に申し訳ない!と思ってめっちゃあせるねんけど、彼女もベイビー・ピンクを体験中なのか眠れない様子(デゴ男が静かなときも起きているから)。でもあまりにも泣きつづけるデゴ男の声でとうとう看護婦さんがやってきた。

実は授乳がうまくいっていなかったので、デゴ男は空腹で激怒中だったよう。私は今までおっぱいをあげたことないからちゃんと吸えているのかわからない。きっと飲んでいるんだろうと信じていた。今までずっと授乳のときは看護婦さんがきて手伝ってくれていたので大丈夫やと思っててんけどダメだったみたい。デゴ男は実は口を大きく開ける事ができていなくて、私の乳首(別にそん何大きくないよ)をうまく咥えていなくて、もちろんそんなんじゃちゃんと飲めないからお腹が減っていたみたい。

隣の女の子も苦戦中で、二人目やけど一人目のときはすぐに粉ミルクにしてしまったから母乳のあげ方をよくわかっていなくて、母乳一筋のこの病院は粉ミルクをあげない方針なので、彼女も必死やった。

看護婦さんが3人くらい夜中の私の病室に来て、私達二人に母乳をあげさせようと必死やった。その中の一人、年取った怖いおばさんが私の乳首をムギギギッッとつまんでデゴ男の口の中に引っ張り入れようとする。めちゃくちゃ痛いやんけ!!!。でも彼女の努力と私の忍耐もむなしく失敗に終わり、同僚に「ちょっと搾乳機持ってきて」と命令。「この子本当におなか減ってて何か飲まないといけないから、あなたおっぱい絞って飲ませなさい。それまでは粉ミルクのませるから。粉ミルク飲ませてもいいっていう書類にサインしてね」っと言い放って行ってしまった。この病院の看護婦さんはみんなやさしくていい人ばかりやったのに、この人一人だけ怖かった。ラッキーにも彼女に会ったのはその時だけやけど。

看護婦さんはデゴ男を連れて行ってしまい、私は一人ベッドで機械でおっぱいを吸われていた。(けっこう痛い・・・。)隣の女のこが静かになったからきっと彼女は成功したんだろう。うらやましい・・・。まさか母乳をあげる事がこんなに大変なんだとは思わなかった。ただ乳首を咥えさせればいいだけじゃ絶対ない。赤ちゃんもお母さんもお互い初めてで試行錯誤。

おっぱいは吸われれば吸われるほど作られるので、それからは4時間ごとに授乳、その後私は搾乳、デゴ男は粉ミルクを飲むという事になった。夜中狭い搾乳室で、チコチコなる時計の音を聴きながら、ウィーンウィーンという搾乳機でおっぱいを絞られる。それを持ってデゴ男が粉ミルクを飲ませてもらっている、未熟児とかが入る機械なんかがいっぱい置いてある部屋に行った。そこの担当の看護婦さんが、指に管を沿わせて、その指をデゴ男の口に入れて吸わせている。哺乳瓶で飲ませると、おっぱいに比べて簡単に出てくるので、それに慣れてしまったらその赤ちゃんはもう母乳を飲まなくなるから、そういう変わったやり方(フィンガー・フィードと言っていた)で飲ませている。

その姿を見てもう私の感情は止まらなくなってしまった。一気に涙があふれて声を出してエンエン泣き出してしまった。私はおっぱいも満足にあげられない・・・。なんてかわいそうなデゴ男。破水から満足に寝ていないし、出産で疲れきっていたのでもう崩れ落ちてしまった。「ごめんね、ごめんね・・・」を繰り返す私に看護婦さんは大丈夫と慰めてくれた。

これね、ベイビーブルーって言うのは・・・。

 

5月24日 三日目
授乳の時間になったら呼んであげるからちょっと寝てきなさい、と言われてやっと落ちついて眠れる事ができた。と言っても4時間ごとの授乳やから少しづつしか寝られなかったけど。

絞って出てくる母乳はまだ黄色っぽくていろんな大事な成分が含まれている初乳がまだ出ている。今ごろは初乳はなくなっていて白い普通のミルクが出てきているはずなので、やっぱりデゴ男はちゃんと飲めていなかったみたい。でも私のおっぱいはなんだか硬くって痛い。搾乳を片方20分ずつ4時間ごとにしていたんやけど、看護婦さんが「搾乳し終わったあと、空になったーって感じになってる?」って聞かれた。「ううう・・・、いっぱいとか空になったとか経験した事ないんでわかりません・・・。」(今はよーくわかるけど。あの時はキンキンに張っていたと思う。空のときってホンマにおっぱい垂れてしなしなやもんな。)

泣いて、そのあとちょっと寝たおかげで気分はだいぶん良くなった。保育器の中の未熟児ちゃん達とも搾乳のたびに会うので仲良くなった。(搾乳室の移動式の立派な搾乳機が2台も盗まれるという事件があった。病院にある物って誰でも使えるようになってるからそういう悪い人が来て盗んで行きやすいのかもしれない。)

この日は土曜日なので旦那は休み。朝からやってきた。でも何もしてもらう事がないのよね。だからボケーっとデゴ男を眺めたりして過ごした。途中で帰って洗濯をしてもらったり、買い物(ちょうどその週にオムツが安売りやったと思う、笑)に行ってもらったりした。普段はいやがりそうやけど、このときはテキパキこなしていた旦那(笑)。デゴ男のためならなんのその。

この夜、隣の女の子がとうとう泣いてしまった。デゴ男と違ってちゃんと咥える事はできてるんやけれど、乳首が痛いからなかなか授乳できなかったみたい。彼女は上の子の事が心配やし、入院が大嫌いで、しかもナースステーションのすぐ隣の私達の部屋はうるさくてほとんど寝ていなかった。看護婦さんに「帰りたいんです!!」って懇願しててんけど、けっこうたくさん縫ったらしくて、もうちょっと待てと言われていた。彼女もベイビーブルー。

 

5月25日 四日目
朝しぼんでいる隣の子に「私もその前の晩、授乳がうまくいかなくて思いっきり泣いたのよ。」と話をした。彼女は「もうこんなんだったら母乳で育てたくないのよ。上の子を粉ミルクで育てたけど全然問題なかったのに。ああ、家に帰りたい」と嘆いていた。

看護婦さんは二人の問題児のためにテレビとビデオを部屋に持ってきてくれて、母乳のあげ方のビデオを見せてくれた。何度も似たようなビデオを見た事があるけど、もう必死なのでじっくり見た。

この日その女の子はやっと無理を言って退院して行った。やったね、また個室♪と思ったらすぐにベッドのシーツが替えられて新しい人がやってきた。今度はアジア人の夫婦。でもなぜか英語で会話をしている。旦那さんはまあまあやけど、奥さんの英語はだいぶん劣っていた。看護婦さんの言っている事が理解できないみたいで、めっちゃ簡単な事を聞いているのに、ちんぷんかんぷんな答えをしているのを聞くとイライラしてしまった(苦笑)。このおばさんが(けっこう年やった)日本人やったら通訳したるのに・・・。

もうひとつイヤだったのが臭い・・・。なんか東南アジアのタバコのようなむっとした匂いのするカップルで、部屋中臭いねん・・・。

もっとイヤな事が、このおばさんの赤ちゃん、もうものすごい勢いで泣くねん。おばさんも別に泣いてるからと言って何もしない。普通おっぱいあげてみたりオムツを替えてみたりするねんけど、赤ちゃんのベッドの横に立って「シーッ、シーッ」って言ってるだけ。赤ちゃんは自分のしてほしい事をしてもらえないもんやから「ギャピー!!!」ってすごい事になっている。私の部屋は「シーッシーッ」と「ギャー!!ギャピー!!」でいっぱい。寝られたもんじゃない。

 

 

5月26日 五日目
月曜日。昨日の晩のうるささに参ったので退院したかった。旦那はこの週丸ごと休みを取ってくれたので、デゴ男のために掃除機を掛けたり洗濯をしてくれたりしていた。

この日デゴ男は黄疸の血液検査をした。結果を待っている間看護婦さんに退院したい事を伝えた。縫ったところは問題ないし、体調も良かった。授乳もなんとか練習の成果が出たようでだいぶんうまく飲めるようになったからもう心配ないんじゃないかと。

結果は良くなかった。アジア人の赤ちゃんは黄疸が出ることが多いけれど、けっこうひどかったみたいで、保育器に入れられ、紫外線みたいな青い電気を一日中浴びさせる事になった。保育器にセサミストリートのシールが張った名札を張ってもらい、目隠しのゴーグルに目だまを描いてくれた所が気が効いてて嬉しかった。

黄疸を良くするにはその青い光線(日光でもいいらしいが)をなるべく長く浴びておっぱいをいっぱい飲んで毒(?)をおしっこで流してしまう事らしい。だから退院は延長になってしまった。またあのうるさくて臭う親子と一晩過ごすのか・・・(涙)。

その日は一日中箱に入っていたデゴ男ちゃん。わたしは授乳の時間以外はベッドでテレビを見たりのんびりできた。お世話をしなくてよかったのでけっこう楽。

隣のおばさんにはしょっちゅう見舞いの人達がやってきた。(ちなみに私にもいろんな人が来てくれました。皆さん遠い所はるばるありがとう!)旦那さん側の訪問者はどうやら中国語で、奥さんのほうはインドネシアかマレーシア語って感じやった。

また夜がやってきた。隣の赤ちゃん泣き叫ぶ。授乳と搾乳のたびに保育器がある部屋に行って看護婦さんに愚痴った。看護婦さんも「そうなのよ、ものすごくうるさいから他の部屋の人にまで迷惑なのよ。でも彼女私達に手伝わせてくれないのよね・・・。」とあきらめ状態。看護婦さんが来て「大丈夫?」と聞いても「大丈夫」と答えていたおばさん。大丈夫ちゃうやろ!!。どんなに「あんた、シーって言ってるだけじゃ赤ちゃん泣きやまへんで。おっぱいあげるかオムツチェックしたら?」って言いそうになったか・・・。

とうとう部屋を替えてもらえる事になった。私達が使っている部屋が次の日の帝王切開の患者のために必要なんで、二人を別の違う部屋に移してもらえる事になった。夜中のベッド大移動。私はデゴ男が保育器がある部屋にいて私一人なので、出産病棟のつづきの一般の病気の人がいる二人部屋に、おばさんはその二部屋先の部屋。まだ聞こえるやんか!(苦笑)。

ちなみに一般病棟の部屋は出産した人用の部屋より格段に大きかった。やっぱり出産は病気ではないから入院時間も短いし、容態が急に悪くなっていろいろな機械を運んでこなければいけないという事がないからやと思う。だいぶん静かになったから寝られるわ、と思ってんけど、同室のおばあさんがとても苦しそうで、でも面倒を見てくれている看護婦さんにとても申し訳ないという風に接していて、おばあさんの苦しそうな息ずかいが聞こえるたびに、なんか私もかわいそうでなかなか眠れなかった。夜中にベッドの移動とかでゴソゴソしてごめんね・・・。

 

 

5月27日〜 やっと退院、そしてその後
この日デゴ男ちゃんの黄疸の値が下がっていたら退院できる事になった。朝かかとから血をとって血液検査に出す。検査の結果を待つ間もデゴ男ちゃんは青色光線を浴びていた。私は病室にいるのもつまらないので、お見舞いの人が使ったりする応接間で新聞を読んだり、デゴ男を眺めたりした。

結果はまだ黄疸は出ているけど危ない値ではないし、少しは下がったから帰ってよし。でも次の日も血液検査のために病院に来る事、だった。やったー!!。さっさと荷造りをして旦那に迎えに来てもらい家に帰った。

入院中はやっぱり相部屋なのでなかなか眠れなかったけど(それ以外にも授乳などで起こされるというのもあるが・・・)、何もしなくてもご飯は出てくるし、冷たい水も熱いコーヒーも飲み放題。オムツも洗ってもらえる。何か心配な事があったり、助けが必要なときは看護婦さんがいる。入院費はタダやしなかなか快適やん。だからいられるだけいてやると思ってて実際そうなってしまった。

テレビと電話代を払うのに病院の受付にいると、数人の人達がデゴ男を見つけて、「キャーかわいい!いくつなん?」と聞いてきた。嬉しい〜♪

家に帰って医者に言われた通りデゴ男に日光浴をさせた。日光には青色光線と同じ紫外線が入っていて、それが黄疸の毒(?)を分解するそうな。で、分解した毒をおっぱいいっぱい飲んでおしっこウンコで外に出すのだ。

私はデゴ男が生まれる前から布オムツを昼間に使う予定で、花さんからいただいた日本のさらしのオムツを洗って準備万端だった。さっそく日本のオムツをつけてみた。50センチサイズのオムツカバーがブカブカ。(4ヶ月になった今はマジックテープが届きませんが)仕方がないからもうちょっと大きくなるまで紙オンリーに。今から考えると、しょっちゅうウンコをしていたから紙のほうが楽。ウンコ付きの布オムツは洗うのが面倒やからね。

次の日の朝病院に行って血液検査をした。結果が良かったら電話しないからといわれた。でもしっかりかかってきてガックリ・・・。また裸にして日光浴。また次の日も反対のかかとに穴をあけてまた血液検査。今回も電話がかかってきたけど、結果は良好との事。安心した。やっぱりそれからしばらく経ってもデゴ男はちょっと黄色っぽかったし、医者からも黄疸が残っているといわれた。でも今は白目も肌もきれいになりました。よかったー。

そんな訳で私の出産はこんな感じでした。これ以降の育児の記録は日記(ここをクリック)にあるので気になる方は読んでみてください。あ、デゴ男がお昼寝から起きて泣いている。そろそろおっぱいの時間やな。

最後に、お産は人それぞれで、めっちゃいい妊娠の経過でも出産が大変だったりする事もあれば、私のように体重管理失敗、運動全くなし、妊娠中でも早朝勤務の立ち仕事とダメ妊婦やったけど、安産でした。でももし二人目ができたらまた全く違う妊娠・出産になるのだろうなー。もう一人は子供が欲しいからまたこれを繰り返すのか、と思うと嬉しいようなつらいような・・・。次はどうなるかこうご期待!

 

 

 

 

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